FC2ブログ
 
■プロフィール

Keeju

Author:Keeju
故.ルイス・ジョンソンを神と崇める中年ベース親父。ライフワークとしてルイス風チョッパーのフォロワーを目指す。

製作スピードは人一倍遅いが、ときどき模型寄り。

実はすでに五十路ナリ。


※本文と関係のないコメントや不審なリンク付きのコメントは、悪しからず削除させて頂く事があります。

■FC2カウンター

■最近の記事
■カテゴリー
■最近のコメント
■リンク
■メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

■最近のトラックバック
■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■月別アーカイブ

■RSSフィード
『フォードVSフェラーリ 』を1.5倍楽しく見れる…かな?
レビューとしてはいささか旬を過ぎてしまっておりますが、語らずにおれないこの一本。

『フォードVSフェラーリ』。



1960年代半ば、ルマン24 時間レースにおいて新参者のフォードが常勝のフェラーリに勝利するまでのお話。
物語は巨大企業フォードの重役達と、そのワークスチームを任されたキャロル・シェルビー、それと一癖ある名ドライバーのケン・マイルズにスポットを当て、フォードGT(=フェラーリに勝てるマシン)の開発における紆余曲折をドキュメントタッチで描いています。



史実を基にしてはおりますが、やはり映画という事で若干ドラマチックに脚色されている部分もあるようです。が、そのおかげで全くストーリーを知らない御仁でも楽しめる作品となっています。
私事ですが、クルマに全く興味のない倅が二回も劇場に足を運んだ事からも、単なるノスタルジックカーレース映画に終わっていない事がご想像頂けるかと思います。

とは言え目玉はやはりレース。
往年の名車(パンフによると、ほとんどが撮影用に造られたレプリカとか)によるレースシーンのど迫力の映像は言うに及ばず、フォードV8とフェラーリV12のエキゾーストノートの競演が実に良い感じ。
現代のF1などのカン高いエキゾーストノートと違って、7000rpmでレッドゾーンに入ってしまう7リッターV8(OHV!)の図太いサウンドは強烈に耳に焼き付きます。フェラーリの12気筒もまた然り。



また、その時代の世界のリアルな再現度は、実際に60年代にタイムスリップして撮影したのではないかと思われるほどで、ただただ感動するばかり。
見事に再現された60年代のルマンのメインスタンド、コブラやムスタングGT350を製作中のシェルビーアメリカンのファクトリー(チラッと見えるデイトナコブラの木型は必見)などなど、ファンにはたまらない映像が次から次へ。



また、主人公であるキャロル・シェルビーとケン・マイルズの人物像など、文献では知り得ない人間臭い部分が魅力的に描かれており、役者陣の素晴らしい演技も相まってつい引き込まれてしまいます。

ただ、『VSフェラーリ』と謳う割にはフェラーリ側のストーリーはあまり描かれておりません。
シーズン通して幾多のレースでの抜きつ抜かれつの闘いには触れず、たまたま負けてしまった66年のルマンのみにスポットを当てた話なので、フェラーリファンには若干不満が残るかもしれないですね。
ですが、330P3も相当にカッコ良いです。
クルマ好きの期待に十二分に応えてくれる素晴らしい作品で、久しぶりにテンション上がりました。



とりま映画のレビューはこのくらいで。
劇場公開はほぼ終了してしまっておりますが、未見の方は機会があったら是非一度ご覧あれ。



さて、本作『フォードVSフェラーリ』のもう一方の主役であるフォードGT(GT40)。


カッコいいですな。

このGT40というマシンは意外と長寿でして、いろいろと面白いストーリーを持っているのです。

という訳で。
ここからはクルマ好きの独り言。GT40というクルマを軸に、映画では描かれていなかった裏事情をざっくりと浅~く綴ってみたいと思います。
長文御免ですが読み終わると映画が1.5倍くらい面白くなる…かも?

基本的に映画を観たことを前提にしていますのでネタバレ有りです。御用心あれ。


さて、まずはここから。

◉フォードGTプロジェクトの始まり

映画の中で、フェラーリ買収に失敗したフォードは、ルマンで勝てる最強のレーシングカーを作るべく、キャロル・シェルビーを訪ねて協力を要請します。シェルビーはルマン優勝経験があり、またコブラへのエンジン供給の面でフォードと繋がりがありました。
しかし、実際は最初からシェルビーがフォードGTのプロジェクトを請負ったのではありません。

当初フォードは、前線基地&ワークスチームとして英国フォードの傘下にFAV(フォード・アドバンスド・ビークルズ)という子会社を設立し、そちらで新たなレーシングカーの開発を開始しました。
そのFAVの親方としてフォードが白羽の矢を立てたのは、長きにわたりアストンマーチンのワークスチームを率いていた名将、ジョン・ワイア氏。アストンのレース活動撤退後、新車販売のマネジメントをしていたワイア氏をフォード側に紹介したのは、他でもないキャロル・シェルビー。

映画冒頭のルマン24 時間でレーサーのシェルビーが駆っていたマシンはアストンマーチンでした。そう、同じチームの監督とドライバーという関係だったんですね。
劇中でシェルビーが「勝利をもたらす人物なら買えるかも」とかなんとか言ってたのはケン・マイルズの事ではなく、もしかしたらジョン・ワイアの事だったのかも?と、勝手に想像しております。

映画には登場しませんが、このジョン・ワイア氏こそGT40のアナザーストーリーのキーパーソンなのであります。(後述)

◉ワークスチームの移管

さて、ワイア率いるFAVでは早速フォードGT(のちにGT40と呼ばれる)の開発を進め、64年から早くもレースに参戦します。が、64年のレースシーズンは散々な結果(一度も完走できなかった)に終ってしまいました。
まぁ開発一年目だから仕方ないんじゃない?とは思いますが大企業は厳しいですね。フォードはFAVをワークスチームの前線から外し、65年シーズンは新たにキャロル・シェルビー率いるシェルビーアメリカンにその任を託したのでした。

志半ばでワークスチームを外されたジョン・ワイア氏。相当悔しかったのではないかと思いますが、グッと堪えてバックアップに回ったFAVの仕事を黙々とこなします。
FAVに与えられたメインの仕事は、ホモロゲ取得の為のGT40市販バージョン(レースカーと公道用有り)の量産、及びそのアフターメンテナンス。それとワークスチーム用レースカーの開発お手伝いなどでした。
図式としてはFAVが作ったGT40(Mk1)をアメリカに送り(モノコックシャーシだけだったりもする)、シェルビーアメリカンがモディファイを施す(→Mk2)と言った感じ。


写真はMk1公道バージョン(後述)

劇中、シェルビーが仕事帰りのケン・マイルズを捕まえて空港に連れて行き、プロトタイプのようなGT40を試乗させるシーンがありますが、あれこそFAVが製作して64年のシーズンを戦ったGT40(Mark1)なのです。



◉フォード首脳陣はヒール役?

ワークスチームを請負ったシェルビーアメリカンはMk1をベースに改造、強化を重ねてGT40-Mk2を製作するも65年シーズンは惨敗。
しかし、フォード首脳陣からのプレッシャーを跳ね除け、翌66年のルマンで見事フォードGT40の1.2.3フィニッシュをキメるところは映画のクライマックスでした。

そんな感動のシーンに水を差すようですが、ここでちょっと余計な事を。

劇中では同時優勝を目論んでGT40勢が3台ほぼ横並びでゴールしますが、実際にはゴール前でペースを落とし過ぎた①マイルズを②マクラーレンが抜いちゃって、明らかに②号車が先頭の状態でチェッカーを受けています。


実際のゴールシーン

①と②は同一周回でしたから、そりゃ普通に考えたら②が一等賞になりますわな。(①マイルズが、②号車は一周遅れだと勘違いしていて慌てなかったという説もありますが、②マクラーレンはどういう認識だったんでしょ?)

実際のこの辺のゴタゴタはややこしいので、映画では少しわかりやすく描かれているようですが、どちらにしてもフォード首脳陣が余計な小細工を発案したおかげで、スッキリしない結末になってしまったのは事実です。

ついでにもうひとつふたつ。
フォード首脳陣からの心証が悪く、劇中では65年のルマン出場ドライバーから外されて留守番をしていたケン・マイルズですが、実際にはマクラーレンとペアを組んで出走しています。(リタイアしてますが)
あと、66年のルマン前哨戦のデイトナ24 時間。劇中ではシェルビーの看板とケン・マイルズの処遇を賭け、ギリギリの所でマイルズが優勝しますが、実際の記録では二位に8周差をつけてのブッチギリの一位でした。

この辺りの経緯について、劇中ではフォード首脳陣はいろいろイヤらしく描かれていますが本当の所はどうだったんでしょうね。

◉フォードMk4 ≠ GT40

話を戻して、66年のルマン圧勝の後、フォード&シェルビーはGT40の後継として『フォードMk4』というマシンを開発します。(劇中でもちょっと登場する赤いマシンね)


ミニカーですが…

ちなみにフォードMk4はMk2をモディファイしたのでは無く、アメリカサイドで新たに開発中だった「Jカー」というマシンを下敷きにしています。その為か、正式にはGT40という呼称は付かないようです。(劇中、マイルズが最後にテストドライブしていたのがそのJカーです)

映画ではだいたいこの辺りまでが描かれていまして、最後に『この後ルマンにおいてフォードは4連勝したー』といったようなテロップが出ます。

がしかし、実はこの4連勝全てがフォードワークスチームの実績ではありません。

◉フォードの撤退。そしてシェルビーは…

67年のレースシーズン、フェラーリは最も美しいレーシングカーと評される『330P4』を投投入。善戦しますが、ルマンにおいてはまたしてもフォード(Mk4)が勝利します。(ルマンではね)
前年のフォードの勝ちがマグレでは無かった事をとりあえず証明した訳ですな。

そんなわけで66、67年のスポーツカーレースはフォードとフェラーリのし烈な戦いが繰り広げられたのですが、強いクルマが往々にして目の敵にされてしまうのは世の常で。お上から翌68年に向けて大排気量エンジンはNGだよん(ざっくり)というレギュレーション変更が出されます。

この決定にフォードは『企業イメージアップの目的は達成したからもういいッス。お疲れッス。』と、あっさりレース活動から手を引いてしまいます。
そしてワークスチームの解散に伴い、キャロル・シェルビーもお役御免となってしまいました。

余談ですが、市販車マスタングのホットバージョン『シェルビーGT350、GT500』。


プラモですが…

名前の通りシェルビーがモディファイを担当していたこれらのモデルも69年型を最後にその名前が消えてしまいます。(フォードは70年型のマスタングからは『BOSSシリーズ』という独自のハイパフォーマンスグレードを設定するようになりました。)
マスタングのイメージアップにも多大な貢献をしていたシェルビーですが、ここでもお役御免となってしまうのでした。可哀想すぎます。

という訳で、フォードワークス&シェルビーのルマンは、GT40Mk2とフォードMk4の2連勝で終了。


では後の2連勝は?という話なんですが、ここで登場するのが前述のジョン・ワイア氏なんであります。

◉ジョン・ワイアとGT40の逆襲

フォードワークスの前線がアメリカに移った後、
FAVにて裏方の仕事を頑張っていたワイア氏ですが、そのFAVも66年いっぱいで解散になってしまいます。
せっかくアストンマーチン辞めてフォードに入ったのにねぇ~。しかしワイア氏、くじけません。
彼は同じイニシャルを持つ友人と「JWオートモーティブ」を立ち上げ、そしてFAVの工房と仕事をそっくり引き継いで、引き続きGT40に関わるようになります。
更にレース活動を開始するに当たり、イギリスフォード(FAVじゃないよ)がやりかけていた独自のGT40改造プロジェクトも引き継いじゃいます。

コツコツ頑張っているとツキも味方するんでしょうか。ワイア氏、レース好きなある富豪と知り合いになります。
その御仁はワイア氏のところから市販GT40を購入したりしてますます仲良くなるのですが、その方とはぬぁんとガルフ石油の副社長。
程なくしてガルフはJWチームのGT40改造プロジェクトのスポンサーになります。

そして67年、JWチームは『ミラージュM1』を開発しレースに参戦。



GT40ベースで、よく似ていますがルーフが小さいのが特徴です。
このマシンから有名なガルフのカラースキームが登場するのですな。

さてミラージュM1、67年シーズンはそこそこの結果を出しますが、GT40の派生ではなくプロトタイプと見なされたこのクルマも、68年からのレギュレーション変更に引っかかり出場不可に。

さてどうすべぇと考えた結果、JWチームは手っ取り早く隅々まで知り尽くした元祖GT40で戦うことにしました。(本当はミラージュM2というプロトを開発していて、完成までとりあえずGT40で参戦する予定だったのが結局最後までGT40で戦う事になってしまった。)

ミラージュはもともとGT40Mk1をベースに改造されていたのですが、それを再度GT40スタイルに戻しての大改造。
車体の軽量化やエンジンのチューンアップなど、古いマシンながらがんばった結果、JWチームのGT40は68年,69年と二年連続でルマンを制しました。

そう、後の2連勝とはJWチーム。このガルフカラーのGT40の事なのです。


またミニカー御免

68年はゼッケン⑨、そして69年がゼッケン⑥。
この⑥と⑨、ゼッケンが違うだけで実は同じ車両です(シャシNo1075)。同じクルマが二年連続で優勝というのもルマン初でした。

幾多のレギュレーション変更を経てはいるものの、ルマンスペシャルマシンのMk2ではなく、オリジナルGT40であるMk1で勝利したという事を考えると、もしもフォードがワークスチームの移管をせずにFAV(ジョン・ワイア)にGT40のプロジェクトを任せ続けていたとしても、GT40はルマンを制していたのでは?と思うのです。

にしてもジョン・ワイア、カッコ良くないですか?

息の長いマシンでしたが、JWチームがGT40で戦ったのはこの2年間。GT40は数多くの伝説を残してレースシーンの一線から身を引きます。

GT40というクルマ。無骨でマッチョなMk2も良いし、ライトウェイトなガルフバージョンもまたカッコ良い。何より、荒削りですがその無類のタフさにもまた魅力を感じてしまうのです。




プラモのパッケージですが…

と言う訳でGT40の話、これにて終了。
今度映画を見る時、2割増しくらいは面白く見れる?…と良いのですがね。



◉そして物語は続く

余談ですがジョン・ワイア氏のその後。
70年からのJWチームはポルシェのレース活動を請け負い、ポルシェ917を走らせます。
さて、ガルフカラーのポルシェと言えば…



そう、『栄光のルマン』ですね。いろいろな所に話が繋がって行って面白いですな。

余談ついでですが、『栄光のルマン』でのスタートシーンは、それまでのドライバーがマシンに駆け寄る「ルマン式」ではなく、乗車した状態からのスタートでした。
これには前年GT40(ゼッケン⑥)で優勝したジャッキー・イクスのある行動がきっかけになっているのですが…キリがなくなるのでやめときますか。

『栄光のルマン』の撮影車がルーフをカットしたGT40だったりする…あぁ、キリが無い。

話を戻して、70年.71年とポルシェで善戦した後、ワイア氏はレースシーンから引退します。

『フォードVSフェラーリ』を観たあと、ジョン・ワイアの話で映画作ったらまた面白いだろうなーとふと思ったのでした。




◉ちなみに…

ここまでの話で、GT40のシリーズにマーク3(Mk3)は無いの? という疑問が出てくる訳ですが、GT40の公道走行バージョンの中で、特に米国の安全基準に沿ってアメリカで作られたモノをマーク3と呼びます。



GT40の公道バージョン全てをマーク3と呼ぶ向きもあるようですが、正式にはこのタイプだけの呼称のようで。
総数で7台くらいしか製造されてないらしいですが、はっきり言ってあまりカッコ…ねぇー。

こちらのワイア謹製の方が良いですな。





※今回の参考文献。

あえてスペック的なデータをあまり引用していない、かなり大雑把な記事ではありますが、こんな文章でも綴るからにはあまりテキトーな事は書けません。なので、今回このような書物を参考にしております。





この頃のモデル◯ーズ誌はかなり資料的価値が高くて貴重です。
ネットの情報も良いんですけどね。
車両の呼称などは文献により諸説ある部分もありますが、しっかり掘り下げるにはやはり本が頼りになります。



スポンサーサイト





クルマ寄りな映画の話 | 21:37:38 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する